職業「無職」

社畜から無職になったアラフォーの奮闘記

軽い気持ちで退職したら再就職できなくなった話

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何の準備も無く体調不良を理由に会社を退職し、しばらくしたら再就職しようなんて軽い気持ちでいたら、想定外の事で再就職が難しくなった話です。

 

退職を決めるまで

大ケガと病気

仕事はそこそこ大変だった。

祝日は無く、年末年始も有休消化として処理するルールがあった。

土日出勤もあって、代休は取れるものの予定通りに取れる事は少なかった。

旅行が趣味だが、2泊以上の旅行には一度も行けなかった。

 

ある日、仕事の繁忙期ゆえに心身ともに疲れ果てている状態で無理をしてスキーに行ったら大転倒して膝を故障した。

前十字靭帯損傷と半月板損傷のセットだった。

3回手術したが、痛みと可動域制限の障害が残った。

 

そんな中、仕事の量は増えてゆき、膝が回復しないストレスと仕事のストレスが重なったせいか、ある日突然「潰瘍性大腸炎」を発症した。

潰瘍性大腸炎とは、自分の免疫が自分の腸を攻撃するという何とも自虐的な病気。

国の指定難病で、基本的に一生治る事は無く、発症と寛解を繰り返す。

よっぽど重症でない限り命に影響は無く、発症していない時は通常通りの生活が出来る。

 

ただ、発症すると辛い。

直腸がただれて浸出液が出る。

そのせいで頻繁にトイレに駆け込む。

出るものは便ではなく、赤い粘液か血のみ。

 

通勤の間も地獄だった。

トイレに行きたいと感じると我慢する事が難しい。

長時間の会議や打ち合わせにも参加出来なくなった。

この症状は「便意切迫」と言うらしい。

非常に分かりやすい単語があるものだと関心した。

 

同僚に事情を説明したいが、どうしてもシモの話になる為、気楽に話せるものではなかった。

ただ、しばらくして安倍元総理がこの病気を理由に辞任した為、病名が一躍有名になり少し説明が楽になった。

 

初めて発症した時は、炎症を抑える薬「ペンタサ」で難なく完治した。

それからは再発を防ぐ為、ペンタサを毎日服用した。

楽勝だと思ったし、何なら完治したようにも思えた。

 

1回目の再発と退職の決意

発症から1年くらいが経過し病気を忘れかけていた頃、再発した。

正しくは「再燃」と言う。

ペンタサを服用していたのに再燃した時の絶望感は今でも忘れない。

前は効いていた薬が効かなくなっているという事を意味していた。

 

仕事が特に忙しく、目まいや動悸、不眠など、心身ともに負荷が掛かっている時だった。

 

今度はペンタサをいくら増やしても治らなかった。

服用できる最大量まで増やして様子見しても治らず、毎日の仕事が地獄だった。

結局、ステロイド薬の「プレドニン」を服用し、1ヶ月で治まった。

ただ、すっきりと治らなかった為、炎症を抑えるペンタサはその後も最大量服用した。

 

この病気は重症化すると外科手術をし、人工肛門になる可能性もある。

何としてもそれは避けたかった。

 

この時、退職を決意した。

仕事の負荷を減らせば再燃は抑えられると考えていた。

コロナが流行り出す少し前だった。

 

病気が落ち着き始めていたのと、転職先が決まっていないのを良い事に退職時期をかなり引き延ばされてしまったのは仕方が無い。

ちょうどテレワークも始まっていたので、とても働きやすかった。

通勤が無いのと、いつでもトイレに駆け込める環境は、潰瘍性大腸炎患者にとっては非常に有難かった。

 

「無職」を満喫

人生観の変化

せっかくだから「人生の夏休み」として、働いていたら絶対出来ない事を思い切りやろう。

ブランクのリスクは非常に高いが、それを承知の上で1年後に再就職する事を目標にし、無職を満喫する事にした。

再就職は正社員ではなく非正規で、最低限の生活費を稼ごうとも考えていた。

 

怪我と病気を経て、人生観が少し変化した。

プライベートは後回しで、とにかく必死で働くべきだと考えていた古い昭和タイプの人間だったが、ふと思った。

仕事以外にやりたい事はあるが、それはどれも健康でないと出来ないのではないか。

仕事に忙殺されて気付けば体はヨボヨボ、なんて事になったら確実に後悔するだろう。

老後の楽しみにはせず、体が自由に動く今だからこそ、やりたかった事を済ませてしまおう。

そう強く思うようになった。

 

貯金を切り崩して謳歌する

これほどの長期間、無収入になるのは怖かったけれど貯金は少しある。

1年間の出費見込みを計算した。これならいける。

よし、大旅行に出発だ!

 

・・・が、ちょうど退職したタイミングで母が病気になり、通院や手術などの手伝いで数ヶ月が経ってしまった。

これは仕方ない。逆に退職後で良かった。

 

母の病気が落ち着いた頃、念願だったマイカーでの北海道旅行を満喫した。

20日間かけてじっくりと巡った。

お金が無いので宿は使わず車中泊だったけれど、本当に良い思い出となった。

帰りのフェリーでは、旅が出来た事への感謝の思いがこみ上げひとり涙した。

アラフォーのひとり泣きという痛々しい出来事も含めて、最高の旅だった。

 

退職後、2回目の発症

北海道20日間の旅から帰り、次は九州に行こうと準備を進めていた。

無職になってからちょうど半年経った。

そんな時、まさかの再燃だった。

 

前回、心身ともに負荷が掛かった時に再燃したので、ストレスの無い生活ならば再燃しないだろうとの確信が見事に崩れた。

もちろん炎症を抑える薬は欠かさず服用していた。

 

今回は便意切迫が酷い。

コロナが落ち着いて世の中が通常営業に戻りつつある中、ほとんど外出出来なかった。

内視鏡検査では案の定、直腸からS字結腸のあたりまでただれていた。

 

再就職の難しさに気付く

退職してからはストレスも無い。

炎症を抑える薬も最大量飲んでいる。

 

これで再燃したのなら、今後も確実に不定期で再燃するだろうと予想出来る。

 

この時、普通の就業は難しい事に気付いた。

目の前が真っ暗になるような、真っ白になるような、これまでにない喪失感に襲われた。

 

週3勤務にすれば良いという話ではない。

再燃した時に事情をくみ取ってくれる会社は少ないだろう。

完全な在宅勤務であれば良いが、コロナが収まっている中で、100%在宅勤務の会社を探すのは簡単ではなさそうだ。

 

職業「無職」 模索の旅が始まる

潰瘍性大腸炎と相性の良い仕事は「自宅で出来る仕事」。

クラウドワークス、ネットショップ、投資、ブロガー、YouTuber、、、

どれも全く経験が無いし、生活費を稼ぐのは容易ではなさそうだ。

普通は会社員が副業でコツコツ初めて、軌道に乗ったら退職する、というのが真っ当なルートだと思う。

 

貯金はそんなに無い。

考えるのも大事だけど、そればかりでは進まない。

考えるのと行動とを半々くらいにして、とにかく少しでも前に進んでみよう。

 

このブログを始めた目的は、文字に起こす事で気持ちの整理をつけられるのではと思ったのと、潰瘍性大腸炎に関する情報を少しでも共有出来たらという思いで始めた。

 

不安、葛藤、失敗談、病気、、、

雑多で、決して明るくはない内容になってしまいそうで不安だけれども、継続する癖づけにも続けたいと思う。

 

 

 

最後まで読んでくださったかた、本当にありがとうございます。

自己肯定感が低くネガティブタイプですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

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